エコバッグやマイバッグとしてその使い勝手が見直されつつある「風呂敷」は、室町時代、第三代将軍・足利義満によってつくられた「大湯殿(おおゆどの)」によって大判の布が「風呂敷」として活用されはじめ、人々の間に幅広く認知されはじめたととも考えられているようです。金閣寺を建立したことでも有名な足利義満ですが、義満は当時の政治・経済・文化において、皇族の権力をも脅かすほどの影響力のあった人物であったようです。その義満は「大湯殿」を大名たちの社交の場として人々に提供し、風呂場での必需品として人々に愛用されたのが大判の布=「風呂敷」であったようなのです。当時の風呂が現代の銭湯のように、湯舟にお湯が張られていた形式ではなく、お湯を沸かした蒸気や温めた石などを利用して作った蒸気による蒸し風呂様式であったことはご存じですか。人々の間では蒸気を利用した「蒸し風呂」が「風呂」として認識されていたようです。現代におけるいわゆる「サウナ」のようでありますが、当時の人びとは蒸気のあがってくる床に敷かれたすのこなどの上に、大判の布を敷き身づくろいをしていたようです。床に敷いたり、脱いだ着物などを包むものとして使用された大判の布を「風呂敷」と呼ぶようになったのは、この頃の人びとの習慣から生まれた呼び名であるようです。それ以前においても、あらゆるものを包装する布として「風呂敷」のような道具は人々の間で活用されていたようですが、現代にも伝わる「風呂敷」という呼び名は、風呂場で使われるようになった大判の布のことを示していたようなのです。